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「2019 春ネパール取材ツアー」③

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6日から1泊2日でウッタム・シャガール・ウッタムさんの娘・ダンサーと私の5人で予定していたチョーバス訪問ですが、何と前日の午後にバンダというゼネストが決まり交通が全てストップとなり、6日早朝からの訪問ができなくなりました。日本のストライキだと、電車やタクシーの乗務員たちだけの行動と想像しますが、こちらでは自家用車でも走っていると投石を受けて被害を受けるので全てが止まるそうです。  このため7日の朝6時30分に、女性を除いた男3人で出発しての日帰りの強行軍となりました。学校も2校を時間的にまわることができず、セチテビに集まってもらっての手渡しとなりました。鉄の門や2つの校舎の改築も終わり、すっかり綺麗になった学校に着いたのは11時前。今回の支援物資は、HEENEPの文字入りリュックサック・ノート・鉛筆・消しゴム・5年生以上はボールペンとコンパスなど・靴でした。特に靴が大変で、各自が順番に履いて丁度のサイズを探さなくてはならずに時間がかかりました。それでも40人近い里子たちに手渡し、終わったのは13時半頃でした。  腹も減ってきたので早く山を下りようと学校を離れ、凸凹道を大きく揺れながらジープを走らせていたときです。何と道の拡張工事で通行止め。仕方がなく途中にあった横の道に入り、別の山を一回りして下山することになり、何回も道順を会った住民に聞きつつの下山となりました。やっと川の近くに下りて遅い昼食をとってからカトマンズにもどったときは18時頃になっていました。  人生にトラブルはつきものですが、今回のようなチョウバス訪問は想定外でした。それでも無事に終え、カトマンズでウッタムさんと冷たいビールで乾杯しました。シャガールさんは週1回の断食のため参加しませんでした。同じヒンズー教徒のウッタムさんも断食をしなくてはならないはずですが、「奥さんが替わりにしてくれているから私は大丈夫」とのことで、好物のモモとビールを口にしていました。(西村一郎)

「2019 春ネパール取材ツアー」②

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山岡さんからダリットの里子の写真希望がありましたので添付します。8畳ほどの部屋に2つのベッドを置き、家族5人が暮らしています。コンクリート製の3階建てで、トイレとシャワーは階段の横で他の家族と共有。建物は古く先の地震で壁や天井の一部がはがれ、日本では立ち入り禁止になるところですが、ここでは普通に使っています。  カトマンズ郊外とキルティプルの小学校で、HEENEPの支援物資を22名の里子に渡してきました。徳島のグループと私の里子たちです。以前に原田さんと福島の五十嵐さんたちで訪ねて手品などをさせてもらった学校で、身体障がい者も1人いました。  配布にシャガールさんしか参加しなかったので、ロヒトさんはどうしたのか尋ねると、病気で治療しているとのことで驚きました。聞いた症状からすると両足の静脈瘤のような病気で、2週間入院して今は自宅で薬を飲みつつ療養しているそうです。会計を担当している35歳のロヒトさんは、HEENEPの三羽烏の一人でもあり、1日も早く治ってほしいものです。  今日5日はモデル病院のスーマンさんに会い、6、7日でチョーバス村へ入り支援物資を届けてきます。西村一郎                                       

「2019 春ネパール取材ツアー」①

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ナマステ  ネパールに1人で来て3日目の朝を迎えています。街路にある大きなジャカランタの青紫の花が満開で人目をひきます。日中は30℃をこえるし、急に大雨が降ったりして、70歳になったばかりの老体では、体調管理に気を使います。  昨日、ウッタムさんに会い、原田さんから預かってきた里子支援金44000円と運営支援金11000円の計55000円を手渡し、7日の打ち合わせ時に2つの領収書をもらうことにしてあります。ウッタムさんの怪我は、もう半年以上もたっていますがまだ完治はせず、日常生活は普通とのことですが、歩行で特に坂道や階段がつらそうです。モデル病院でカルシウムなどの薬をもらって飲んでいるとのことですが、骨のヒビでこんなにもかかるのかと少し驚き心配しました。  写真は、昨日訪ねたダリットの里子たちと、現地で支援をしてくれているバラト師匠夫妻(スカーフをしている方が奥さん)や連携している学校の先生たちです。母子家庭、足の骨がガン、父親に職がなくレンガ運びの日雇いなどで、各家庭も訪問させてもらいました。貧しい中でも子どもたちの笑顔が素敵です。  今日は午後からカトマンズ郊外の小学校でHEENEPの支援物資を渡し、6,7日にチョーバス村へ行く予定です。 西村一郎