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里子の家族の生活支援をしましょう

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里子の家族の生活支援をしましょう                  2020年6月17日 ネパール子ども基金 運営委員会一同  こんにちは。「ネパール子ども基金」会員のみなさん、新型コロナウイルスや暑さにも負けず、その後もお元気でお過ごしのことと思います。  さて、ネパールでもコロナ禍が広がってロックダウンとなり、休校となって里子たちは学校で勉強ができなくなっています。さらに里子の親は、村から出られず日雇いの仕事がまったくなくなり、里子の兄弟や姉妹も満足に食事ができないたいへん困った状況となっています。  2015年の大地震のときと同じで、貯蓄がない家庭にとって日々の収入が途絶えることは死活問題です。ネパールの現状では政府からの支援が期待できず、HEENEPから里子の家庭に対する緊急の生活支援の要請がありました。  つきましては下記の内容で、里子の家族に対して緊急の生活支援をしたいと願っています。日本も大変な中ですが、私たちの気持ちを募金にし、急いで一緒に支えようではありませんか。 記 目的 : コロナ禍による里子の家族支援      連携しているHEENEPを通して、里子の家族の生活を支援します 募金目標 : 40万円 (約44万ルピー)NCFの里子55名の各家庭に米60kg相当の支援が可能。 募集期日 : 6月30日(火)短期間ではありますが、緊急事態のためご協力をお願いします。 ※ 2021年度支援金11,000円 + 会費500円 + 「生活支援募金」をまとめてお振込ください。

HEENEPから里子家族支援の要請

 2020年6月8日 ネパール子ども基金・代表 西村一郎 様 里子家族支援の支援要請について 親愛なる西村様  私たちは、ネパール子ども基金(NCF)の皆さんとご家族の状況を知りたいと思っております。日本におけるCOVID 19(新型コロナウイルス)のパンデミック状態の中、皆さんのご家族の状況はいかがでしょうか?   日本は非常に優れた家族のための保健制度を持っており、COVID 19の感染拡大を制御しているとのニュースを聞いております。私たちHEENEP家族は、あなた国のCOVID 19の感染状態が改善するよう、再度祈りをささげたいと思います。  さらには、熊本県で、44人以上の市民が亡くなるという大洪水に直面し生活が壊滅的な状況になっています。そのニュースに私たちは心を痛めています。私たちは、心の底からご家族と日本の皆さんに深い哀悼の意を表し、永遠の平和を祈りたいと思います。  ネパールでは国民の多くが、COVID 19のパンデミック状態により生活悪化の状態に直面しています。ネパールのロックダウン宣言は、2020年3月24日に始まりまました。その時のCOVID 19感染者は1桁の数でしたが、現在、2020年7月7日では16168人となり、死者は35人に達しました。したがって、データからはCOVID 19の感染数が徐々に増加していることが明らかです。  そのような状況の中、私たちはロックダウン状態にあります。ネパール政府は人々の動きを制限しており、個人およびEssential Service(生活に必要な公共サービス、医療とかゴミ回収等)車両だけが移動することが許可されており、車両番号が偶数と奇数の日付にそれに応じて移動するようになっています。COVID 19のパンデミック状態は、ネパール経済に非常に悪い影響を及ぼしています。したがって、ネパールでは日常生活が非常に困難な状況なっており、遠隔地では限られた経済活動も停止しているため、さらに深刻な影響を受けています。  この状態では、ネパールの遠隔地での日常生活は非常に困難です。添付文書を参照いただき、里子家族が生活を改善し、その状態を克服できる可能性のある支援を探すことできればと、お願いできたらと思います。  あなたからのご返事を期待しております。安全で健康な状態を保ちましょう。ありがとうございま...

※お知らせ 「2019ネパールスタディツアー報告会」を延期します

来る3月2日(月)18:00~渋谷のコーププラザで開催を予定していました「2019秋ネパールスタディツアー報告会」は、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、急遽延期することになりました。 運営委員会では、公共交通機関で夕方のラッシュ時に渋谷に向かい、一定空間で飲食しながらの会議は、この際延期しようという結論となりました。 予定していただきましたみなさまには大変申し訳ありませんが、ご協力いただきますようお願いいたします。感染終息後にまたご案内いたします。

「2019ネパールスタディツアー」⑳セティデビ小中学校の新しい里子 11/22~23

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スタディツアーに参加される頻度の高い里親の里子があまりに遠い山の下の方の家だと、せっかく村を訪問しても会いに行けないのでは?あまり低学年の里子だと高齢の里親は支援が続けられないのでは?と悩みながら、マハディブ小学校とセティデビ小中学校の新しい里子を写真に撮りました。 セティデビは、10年生までの小中学校から12年生までの小中高学校をめざして、昨年新しい教室を増築しましたが、今年度は実現しませんでした。ところが運動会を開催したグランドの端に、アジア開発銀行の支援で素晴らしい校舎が出来上がっていました。ツアー一行が帰国してから、校舎の引渡しのイベントが、女生徒たちの合唱と踊りで盛大に開催されました。(原田健次) サンギッタ・パハリ(小林智恵子)  マニサ・パハリ(原田裕子)  レスマ・パハリ(太田進) アンビカ・サルキ(太田豊子)   ガンガ・パハリ(小林邦夫) バンナダ・パハリ(斉藤のり子)  ニル・サルキ(松本ゆり子) スジタ・カトリ(川池綾子) アスミタ・ダルキ(篠田陽二) コビラ・ガウトム(田代幸男)  ディピカ・パハリ(田代ルイ子) アソク・パハリ(高野濱子)  ガンガ・ピソカルマ(香取三恵子) スディブ・パハリ(加納和枝)

「2019ネパールスタディツアー」⑲マハデブ小学校の新しい里子 11/22~23

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NCFのネパールスタディツアーの一行が出発する数日前に日本を出て、1カ月間ネパールに滞在しました。運動会の前日のドゥリケル行きから一行と合流して、チョーバス村のセティデビ小中学校の運動会で一緒に汗を流しました。 みなさんが帰られた後、NCFから要望された12名の新しい里子候補を、各学校長からピックアップしてもらいました。11月22日(金)~23日(土)にチャーターした4WD車で再度チョーバス村を訪問しました。HEE-NEPのウッタムさん、ロヒトさん、サンタ君と4人で、2つの学校の里子候補の家々をめぐり家庭調査を行いました。(原田健次) サムラト・カトリ(沼田昭三) スミトラ・パハリ(山岡満) クリシュナ・パハデゥル・パハリ(山岡悦子)    ラスケ・パハリ(片山洋子)

「2019ネパールスタディツアー」⑱被ばくハマユウを寄贈

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74年前に広島で原爆を受けても絶えなかった被爆ハマユウの子孫を持参し、キルティプル市長と民主的医療団体のフェクト理事長に、平和のシンボルとして寄贈させてもらった。(西村一郎) 西村一郎さんが、キィルティプル市長に送った被爆ハマユウ、我がまち湖南市、こうせい駅前診療所(医療生協)にも植えることになりました。植え付けは来年の3月がよいそうです。楽しみです。私の家にも被爆ハマユウを植え、育てて広げたいと思っています。(米森恵津子)

「2019ネパールスタディツアー」⑰カトマンズの里子 11/9

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私の里子、イスミティちゃん(11歳)は以前支援していたサンジェ君の姪です。お母さんとカトマンズにある8畳ほどの小さな部屋に住んでいます。水道もトイレも共用のアパートで部屋には小さなガス台が一つあるだけです。お父さんは、6年ほど前にマレーシアに出稼ぎに行きましたが音信不通ですが、サンジェ君の支援もあり元気に学校に通っています。将来はお医者さんになりたいそうです。 写真の右がサンジェ君で、すでに27歳の好青年です。サンジェ君とは小学校の時からのお付き合いです。サンジェ君がイスミティちゃんを連れて会いにきてくれました。仲の良い二人の姿をみて、2世代にわたる里子支援のおかげでネパールに新しい家族ができた気がしました。(小澤JUKU) もう15回以上はネパールを訪ねているが、行くたびに私は学ぶことがある。物や情報が日本に比べて確かに少ないネパールだが、それだけ物や情報を大切にして生活している。子どもや農村では特にそれが顕著で、過剰な物や情報によって、かえってものの本質が分からなくなっている私たち日本人は、立ち止まって考える大切な機会にもなる。 カトマンズ市の北にあるスワヤンブナート寺院を、今回はガイドつきで訪ねた。ネパールに10人いる私の里子の1人は、両親がカースト制の最下層にあるダリットで、この境内のトイレ掃除をしてチップで親子4人が暮らしていた。ところが昨年の夏に、父親のDVによって母親は自死してしまい、子どもたちは施設に入り里子支援が残念ながらできなくなった。切ない話だが、現実は受け入れるしかない。 ところでガイドの話で、ここは小乗仏教と大乗仏教の2つを祀っているとのことで私は驚いた。写真の手前に小窓のある仏舎利塔が大乗で、奥の小窓のないものが小乗とのことだが、大乗仏教だけの日本仏教ではまったく考えられないことである。もっとも寛容で奥の深い仏教では、対立するものを共に抱きかかえる包容力があるという証明でもあろう。今回の旅に持参した本の1冊が大乗仏教の有名な経典の1つ『法華経』で、そこでは小乗仏教を否定せず止揚させる意図がうかがえる。宗教や信仰は明治時代初期の翻訳語で、それ以前は暮らしに密着した祈りのようなものであり、家族や地域の共同体を支える大きな柱でもあった。政治や経済の矛盾が広がる中で、宗教の本来の役割りをこれからも考えてみたい。(西村一郎) ...