「2019ネパールスタディツアー」⑰カトマンズの里子 11/9


私の里子、イスミティちゃん(11歳)は以前支援していたサンジェ君の姪です。お母さんとカトマンズにある8畳ほどの小さな部屋に住んでいます。水道もトイレも共用のアパートで部屋には小さなガス台が一つあるだけです。お父さんは、6年ほど前にマレーシアに出稼ぎに行きましたが音信不通ですが、サンジェ君の支援もあり元気に学校に通っています。将来はお医者さんになりたいそうです。
写真の右がサンジェ君で、すでに27歳の好青年です。サンジェ君とは小学校の時からのお付き合いです。サンジェ君がイスミティちゃんを連れて会いにきてくれました。仲の良い二人の姿をみて、2世代にわたる里子支援のおかげでネパールに新しい家族ができた気がしました。(小澤JUKU)

もう15回以上はネパールを訪ねているが、行くたびに私は学ぶことがある。物や情報が日本に比べて確かに少ないネパールだが、それだけ物や情報を大切にして生活している。子どもや農村では特にそれが顕著で、過剰な物や情報によって、かえってものの本質が分からなくなっている私たち日本人は、立ち止まって考える大切な機会にもなる。
カトマンズ市の北にあるスワヤンブナート寺院を、今回はガイドつきで訪ねた。ネパールに10人いる私の里子の1人は、両親がカースト制の最下層にあるダリットで、この境内のトイレ掃除をしてチップで親子4人が暮らしていた。ところが昨年の夏に、父親のDVによって母親は自死してしまい、子どもたちは施設に入り里子支援が残念ながらできなくなった。切ない話だが、現実は受け入れるしかない。
ところでガイドの話で、ここは小乗仏教と大乗仏教の2つを祀っているとのことで私は驚いた。写真の手前に小窓のある仏舎利塔が大乗で、奥の小窓のないものが小乗とのことだが、大乗仏教だけの日本仏教ではまったく考えられないことである。もっとも寛容で奥の深い仏教では、対立するものを共に抱きかかえる包容力があるという証明でもあろう。今回の旅に持参した本の1冊が大乗仏教の有名な経典の1つ『法華経』で、そこでは小乗仏教を否定せず止揚させる意図がうかがえる。宗教や信仰は明治時代初期の翻訳語で、それ以前は暮らしに密着した祈りのようなものであり、家族や地域の共同体を支える大きな柱でもあった。政治や経済の矛盾が広がる中で、宗教の本来の役割りをこれからも考えてみたい。(西村一郎)

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