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キルティプル・PHCT協同病院 4/1

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スタディーツアーの度に訪問している、PHCTやナリセワ女性協同組合の発展も印象にのこりました。10年にも及ぶ付き合いというものは、それぞれの変化と発展を感じることができるのだと思いました。 PHCTでは、キルティプル市(カトマンズの隣の市、車で30分ほど)と提携し住民組織を活用した地域保健活動のとりくみを始めるそうです。5月の連休には日本医療福祉生協連から医師や組合員代表を招きセミナーを開催しています。昨年訪問した時、キルテプル病院のライ院長やPHCTのブラダン理事長が話されていた地域保健活動の具体化が進んでいます。 (小澤JUKU) 医療生協と協同病院を訪問。協同病院内を見学することも出来ました。医療生協の理念を理事のスーマンさん(ウッタムさんの従兄弟で初代HEENEP会長)から聞くことができ、生協で働いてきた者として改めて生協の理念と実践活動の素晴らしさをネパールで再認識することができました。「病気で困っている人は薬とDrだけでは治せない。人、気持、心が大事。国民生活の安定と生活文化の向上を目指すには医療生協しかない」との言葉には本当に感動しました。 どの施設を訪問しても現地の方から出て来る「小沢重久さん」への賛辞は仲間として誇らしく、改めてJICA職員として10年間をネパールで過ごし、その地に根を下ろして足を使って築いた関係の深さを感じることができました。(須崎歌子)

ポカラ観光 Women's Skills 3/30

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WSDO(Woman’s Skills Development Organization)という1975年設立の女性の自立支援施設で代表のラムカリさんにお話を伺うことができました。WSDOは病気や障がいのある人、カーストの低い人、シングルマザーなど十分に収入を得られない女性が生活に必要な現金収入を得るためのスキル(糸からの染色、機織り、縫製、デザインなど)を無償で教育訓練する施設です。18歳〜45歳までの女性が3ヶ月で技術を習得します。そのトレーニング代や材料を無償で提供し商品をつくるとその代金を渡す仕組みです。遠方や山奥などで毎日施設に来られない人には在宅作業も認められています。体の不自由な人もそのシステムで参加が可能になっているそうです。そこで作られる商品はクオリティーの高さと商品の多さで日本やイタリアなど12カ国にフェアトレードで輸出されているとか。 会長自身も貧しい最北のフン村の生まれで勤めた役場の仕事で村の女性の過酷な状況を知ることになります。ユニセフからのピルが政府に入ったことで「産児制限をして特に女性の健康の向上と貧しさに歯止めをかけること」を上司に相談し実施した経験をもっていました。75郡を回る中で子どもが勉強出来ない環境や薬も買えずにいる現状をなんとかしたいと考え、そのためにも女性が現金収入を得られるよう会長がチベットから習った手作り品で実現したいと思うようになったこと。イギリスからのボランティアやJICAからの支援ではニーズを聞くことが商品作りには大切なことも教えてもらい、より良い施設になっていったとも。 女性たちはここで得た収入は子どもの学費や祭事の費用に充てるそうです。会長から組織の成り立ちや現状をお聞きし改めてネパールの女性が置かれている現状を知ることができました。カースト制度の中で更にある女性の地位の現実に疑問を持ち、文字通り体を張って行動してきた会長に心底敬意を表し若いスタッフが担うこれからのWSDOの発展を願わずにはいられません。 (須崎歌子)      

ポカラ観光・マウンテンミュージアム 3/30

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圧巻は激しい雷雨の後に神聖な山と言われるマチャプチャレが姿を現したことです。雨上がりの夕方のその山は青く光り神々しいということばがぴったりで思わず歓声をあげました! またチベットキャンプへも。ネパールの隣国チベットからは毎年、数千人の難民が過酷な地形からネパールを経由して亡命政府のあるインドへ向かうそうです。が途中ネパールで生活の根をおろす人々もいてキャンプで共同生活をしながらチベットの伝統文化を活かして生活の糧にしていました。 (須崎歌子)

ポカラ観光・フィッシュテールロッジ 3/29

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裕子さんと健次くんの3人でポカラへ。3日間のガイドはJUKUさんの10年来の知り合いのダスさん。日本語がとても上手な紅茶屋を営む真面目な方です。 ポカラはリゾート地だけあり空港からしてのんびりしていてホッとします。宿は日本食レストランが経営するAOZORAという庭付きののどかなホテル。このチョイスにも原田親子の気遣いを感じました。 レイクサイドのフィッシュテールロッジでランチを摂った後、ポカラ第2の湖フェワ湖でボートに乗ってのんびり湖を回ったり、ヒンドゥー教のお寺を見たりとリゾー感を満喫。(須崎歌子)

ドゥリケル・里子プレルナとのご対面 3/31

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ポカラからの帰り道に私たち3人はカトマンズからチャーター車に乗りドゥリケルへ。いよいよ私のネパール訪問の最大の目的である里子のプレルナ・ラマちゃんに会えるのです!本当に会いに来てくれるのか?恥ずかしがって話をしてくれないのでは?と期待と心配の数時間でした。そして初めて会うプレルナは15歳の11年生。おめかしして会いに来てくれたプレルナは写真からはずいぶん成長していて可愛い中にも知的さの漂う素敵な女性になっていて私の方が照れてしまいました。 お母さんは3歳の弟も連れてきていました。通訳のウッタムさんと3人でお話ししている最中もちょろちょろする弟のことを気にかける姿から、日常的にお母さんを助けて弟の面倒をよく見ていることが伺えました。そして勉強はとても楽しく学校に行くのが嬉しいと。また学校を卒業したら看護師になりたいと目をキラキラさせて将来の夢を語ってくれました。同年代の西村さんのお孫さんの凛ちゃんともすぐに仲良くなり、凛ちゃんの携帯で2人で自撮りするなどとても打ち解けた雰囲気に横浜の孫たちを思い出し、子どもはどこの国でも同じだなと嬉しくなりました。 あまり時間のない中でしたが、とても濃密な時を過ごせて、出来れば夢を叶えるまでプレルナを応援したいという気持ちが強くなりました。これは直に子どもに会わなければ湧かない感情だとも思いました。 里子の小学校があるチョーバス村からプレルナ親子をドゥリケルまで連れてきくれたツアーの仲間とウッタムさん達に感謝し、この気持ちにさせてくれた今回のツアーに改めてお礼を申し上げます。(須崎歌子) 須崎さんの里子さんにも会いました。彼女も将来の夢について話してくれました。「看護師になりたい、できれば日本で勉強したい」と話しています。私が下手なネパール語で「まずは一生懸命に勉強し資格をとり、そして日本語ができるようになれば可能性はありますよ」と話しをしたら、大きな目でじっと食い入るように話しを聞いてくれました。その真剣さに心をうたれました。(小澤JUKU) WSDOのお土産をプレルナに手渡す須崎さん お母さんのそばに小さなバブー 凛ちゃんのスマホで自撮りする2人

チョーバス・村人と夜の交流会 3/30

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この日の夜は、地区長さんの家の横で焚火をたき、みんなで歌いダンスをした。ダンスにはあまり乗り気ではなかった私も、地区長さんの奥さんやネパールの方の太鼓に合わせた踊りなどで、とても楽しい夜を過ごした。(伊藤凛) 夜には村人が集まってくれてロキシー(稗で作った地元のお酒)を酌み交わし、歌い、踊って交流した。彼らは歌や踊りが大好きでとても上手だ。HEENEPや私たちNCFの活動がチョーバス村の人々の幸せに役立つように願ってやまない。(山岡満)

チョーバス・マハデブ小学校の新しい里子 3/30

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同じ地域にある別の学校では、2年生なの6年生程の大きな身体した女の子に出会いました。彼女は家の手伝のため学校に行くことができず12歳なのにまだ2年生でした。私たちの紹介を待っている間、小さな子供と一緒に話をしたり少しふざけたりしているように見えたのですが、私たちを見つめる彼女の姿から勉強を続けたいとの強い思いが伝わってきました。他の2年生の生徒たちと比べるとその大きな体は頼りになるお姉さんのように見えます。でも、控えめで、はにかむように私たちをじっと見つめる彼女の眼差には、ここまで背負ってきた生活の厳しさを無言で訴えているような意志の強さを感じました。 ネパール社会が抱える貧困やカースト制度の問題などをそれなりに理解しているつもりいりでいたのですが、目の前にその現実を見たとき、人間が作り出したその厳しさと冷酷さに心が震え涙がでそうになりました。 (小澤JUKU) 今回、チョウバス村の従来とは違う他の小学校から8人の子どもを紹介された。その中の1人の女の子は、低階層ダリット出身の子で12歳だが3年生、入学年齢になっても貧しさゆえに学校に入れなかったからだ。この地域の所得の状況は、教師から「この辺の親たちの日当は300円」との説明。勿論、毎日仕事があるわけではない。 基金への参加は貧しくて学校に通えない子を通わせるために支援することが目的ですので、貧困層の生活というものを頭では理解していたつもりでしたが、実際に見て、話を聞いて「貧しさ」を実感することは、頭での理解を打ち壊すものでした。だが、どの子どもたちも貧しい生活ではあるが悲壮感というものは感じさせず、貧しくても、子どもたちは笑顔があふれていた。また、澄んだ目を輝かせていたことには安堵をし、逆に励まされた感じがしました。 (亀山薫)